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トップ > コラム一覧 > 足助高校観光ビジネスコースの生徒さんに足助を案内してもらった

豊田市で夫婦でカフェを経営して32年のカフェママです。

豊田市に住んで33年になりますが、まだまだ行っていない場所がたくさんあります。

今回は、足助高校観光ビジネスコースの生徒さんの企画によるツアーに参加してまた新たな豊田市の魅力を発見しました。
いったいどんな場所に行ったのか?
何を感じたのか?

カフェママレポートを是非ご覧くださいね!

足助高校観光ビジネスコースの生徒さんとめぐる足助の古い街並み

 

 

足助高校の生徒さんが街並みを案内してくれるツアーを見つけたので、参加してきました!

↓こんな内容のツアーでした。

矢作ダムについては、こちらのコラムを見てね!

「矢作ダム」と旭高原元気村【豊田市から1時間!日帰り観光】

 

足助高校観光ビジネスコースとは?

 

観光ビジネスコースというのは、

「ビジネス基礎」や「観光探究」など通常の教科とは違う科目を学びながら、

課外授業として足助の町や中山間地域へ出かけて、様々なことを見たり、体験したりします。

マーケティングなども学ぶそうですよ!

将来的には、観光産業への就職や、公務員となり街づくりにかかわる仕事をすることなどを目標にした生徒さんが

入学してくるそうなんです。

令和5年1月に「高校生トラベル」という商標を登録し、不定期で足助地域の観光ツアーを開催しています

今年は、東京からの高校生の案内もされたそうですよ!

 

班ごとにわかれて案内してくれたのですが、私たちを案内してくれたのはこの3人

 

このツアーに参加してよかったのは、

自分たちで歩いているだけではわからない事がわかったり、

普段は入れない場所に入れたり、同じように興味を持っている人とともに

散策してとっても楽しかった事です。

企画をしてくれた足助高校観光ビジネスコースのみなさん達や、若い方と出会えて

新たな「豊田市の魅力」を発見する事ができました。

また、若い人々のパワーこそ「豊田市の魅力」なのかも!

 

それでは、観光の様子をどうぞご覧ください!

 

 

高校生3人と一緒に足助を散策

 

 

足助は、1775年に大火で焼失した町屋が多く、その後防火を意図して

漆喰で軒先まで塗り固められた作りになっていて

火に強い板瓦を使っているそうです。

 

 

 

重要伝統的建造物群保全地区に指定されているので、信用金庫も町並みに合った建物になっています。

 

みなさんご存じのマンリン書店。ここからの眺めの美しいこと

 

 

こんなんもあります。知らなっかたわ~ まさに歴史の証人ですね

 

足助の重要文化財

 

旧鈴木家

 

旧鈴木家の玄関

豊田市文化財課足助分室の担当の方が現在修復している旧鈴木家の建物について

説明してくださいました。

国の重要文化財

旧鈴木家は国の重要文化財なのですが、

豊田市内にもたくさんある文化財ですが、「重要」とつくのは、

より価値が高いと認められ国に指定された文化財です。

 

旧鈴木家は、15代続いた有力商人で1230坪の土地に16棟の建物が立ち並んでいたそうです。

紙や、味噌などの商いをしていたようです。

 

現在は修復工事中で保存修理工事エリア見学ツアーなどもやられています。

 

修復中の建物の様子

修復工事中の中まで入らせて頂きました。

耐火を意識した壁は、なまこ壁というんだそうです。

興味のあるかたは是非こちらをご覧下さい

旧鈴木家保存修理工事エリア見学ツアー

旧鈴木家は、地域の経済活動だけでなく、足助の治政、領民の治安を維持する役割もになっていました。

生活困窮者に施し金を配るなど、今でいう

ボランティアのようなこともしていたと、説明を受け

地域に果たした役割は大きかったのだなあと思いました。

 

 

旧田口家

 

 

 

重要伝統的建造物群保全地区に指定された足助の町並み。

その中心に位置する「旧田口家住宅」

 

旧田口家の当主であった田口足助協会会長に案内していただきました。

製茶業であったが、大正時代に将来を見越してガソリンスタンドを経営はじめ、

その当時の看板などもお店の中に飾られています。

現在は、足助観光協会の案内所になっています。

旧田口家足助観光案内所

 

生徒さんに将来の夢を聞いてみた

 

 

 

私たち参加者3人の案内役となってくれた足助高校の3人は、

おしゃべりしながら、自分たちの知っていることを私たちに話しながら、一緒に歩いてくれます。

この店のレアチーズポテト美味しんですよ!とか

聞いたらすぐに、買っちゃいました。(笑い)

 

自分たちだけでは、決して気付かなかった「あすけのマンホール」など、見つけられて

一緒に歩いてとても楽しい時間でした。

 

こんなマンホールあるんですよ!と生徒さんが教えてくれました。

 

彼女たちは足助高校の観光ビジネスコースを自ら選び、入学してきたといいます

3人のうち一人は、自宅が足助に近いそうですが、

1人は、1時間半、もう一人は通学に2時間かけて足助高校に通学しています。

ただ何となく高校に進学してというのではなく、目的をもって入学しているので

学校が楽しい!と3人答えてくれました。

 

3人に将来の夢は?と尋ねると、観光業に携わりたい、ウェディングプランナーになりたい!

など、明確な目標を答えてくれました。

足助高校に入学したくてたまらなくて、入ったということで、

目標に向かって進んでいる姿がととってもかっこよかったです。

 

キラキラしてとっても生きいきしていて楽しそう。

彼女たちの将来がとっても楽しみです。😊

 

最後まで楽しくおしゃべりしました。ありがとう!

 

 

足助の豆知識

 

最後に、このツアーで学んだ「足助の豆知識」を書き留めておきますね。

 

街の歴史

 

足助は豊田市の中央に位置し古くから、太平洋岸と中部山岳地帯を結ぶ交通の要所として栄えてきました。

足助という街は、伊那街道(中馬街道)の物資の中継所宿場町として発展してきた街です。

三河湾・西国の塩を一旦足助で降ろし、重さ・品質を一定にして馬に積み

信州飯田まで運びました。

ですから、飯田街道を「塩の道」と呼んでいます。

生活になくてはならない道だったわけですが、

明治44年に中央線が全線開通すると、

いままで馬で運んでいましたが、

大量に物資が運べる鉄道に

輸送手段が変わっていき、

足助は一機に衰退しました。

現在は、町並みが保存され、重要伝統的建造物群保全地区に指定され、

また、香嵐渓のもみじなど

「観光の街」の側面を持っています。

 

2023年の香嵐渓のライトアップ

 

何故「香嵐渓」っていうのか知ってる?

 

実は、香嵐渓と名前がついたのは、昭和5年のこと

大阪毎日新聞の本山彦一社長により命名されたのだそうです。

香積寺から吹き降ろす蘭気(らんき)が清々しいと

香嵐渓と名付けられたんですって。

そのことも今回のバスツアーで知り、何気なく香嵐渓と呼んでいたのが、

命名した人や、意味も分かりより香嵐渓という名前がより深く染み入りました。

 

 

まとめ

 

今回のコラムでは、

  • 足助高校観光ビジネスコースの生徒さんと足助の古い街並みをめぐってみた
  • 足助の街の歴史・香嵐渓の由来

についてお話しました。あなたも足助高校観光ビジネスコースのイベントがあったら参加してみて!

 

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この記事を書いた人

野々山憲子(カフェママ)

カフェドシェフ共同経営者 経理・営業を担当 パティシエ ホールスタッフ 

高校卒業後、阪神百貨店入社(現阪急阪神百貨店)。7年間婦人服売り場で勤務。その後、カフェドシェフ開店。共同経営者となる。
好奇心旺盛で人と話すのが好き、美味しいもの新しいものに目がなく、とにかく考える前にやってみるが信条。

鹿児島県生まれ

 

保有資格等

コーヒーインストラクター2級/調理師/手作りパン研究普及会製パン技能専科修了/簿記一級/着付け着装師補

 

 

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