みなさんこんにちわ!
カフェママが気になる人とおしゃべりする企画 「憲子の部屋」
をおおくりします。
今回は、子ども4人の母で新聞記者になった「貞島 容子さん」を
ゲストにお招きしました。
仕事をする一人の女性として、母であり、またおばあちゃんであり、趣味を愛する人であり、
色々な顔を持つ貞島さんですが、
そのエネルギーはどこから湧いてくるのか?
いつもは取材する側の貞島さんに、カフェママ色々聞いちゃいました。
いったいどんなお話しになったんでしょう?
どうぞ最後までご覧くださいね!
本日のゲストは、矢作新報記者の貞島容子さん
「この間ね、地元豊田市の新聞社、矢作新報さんが取材に来られたのよ!
しかもその記者さん、10年前からのうちのお客様だったの。」
わたし、うれしくなっちゃた!
取材の際、彼女は
マスターにラテアートや
コーヒーについて色々と質問されていました。
マスターの話に耳を傾ける、その姿を見て
さらにほれぼれしちゃたわ!
一語一句聞きもらさないように、メモを取り、
そして間違いなくきちんと読者さんに伝えようとする姿がそこにありました。
「新聞記者ってかっこいい~!」
そう思ったら、
あれこれ 聞いてみたいことが頭に浮かんできました。
それで“憲子の部屋”へ来てもらえないか、お声がけしたわけです。
それでは、貞島さんに登場していただきましょう~
\\ララララーラーラーラーララーラーラーラーラー//
本日のゲストは、
豊田市の「矢作新報」の記者である、貞島容子さんです~。
矢作新報で記者になって12年、地元のあれこれを取材されています。
当店を取材してもらった矢作新報の紙面がこちらです。
\\ジャジャーン//
(記者名は、ペンネームで旧姓の大岩容子になっています。)
貞島さんが、当店のお客様として、
数年前に常連さんと一緒にいらして下さった事、
今年に入ってからお嬢さんとお孫さんと来られた日のことを私は覚えています。
貞島さんはラテアートを喜んで下さって、「取材させてください!」と言ってくださいました。
そして数日後取材に来られ、この記事を書いて下さいました。
カフェママ :「今日は”憲子の部屋“へようこそ!
貞島さんお願いします。」
貞島さん :
「お願いします。いつも取材する側なので緊張します。」 |
では、新聞記者さんへの逆取材スタート!
記者と母の両立
貞島さんが記者を務める矢作新報とは、豊田・みよしの地域新聞。
「地域の魅力をお伝えしたい!」そんな想いがいっぱいのローカル紙です。
発行は、毎週金曜日
図書館や交流館などにも置かれているのでチェックしてみて下さいね!
「まずは、プロフィールを見て彼女色々やってるでしょう!」
貞島容子さんプロフィール
貞島容子(さだしまようこ) 矢作新報記者 54歳・子ども4人の母親 【所属団体】 多世代交流場フリースペースKスタッフ(ミニコミ誌にエッセイ執筆)/NPO法人民芸の森倶楽部理事/ヤギ飼育めぇープルファーム会員/地域人文化学研究所会員(足助の旧料亭寿ゞ家再生プロジェクトに参加)/一般社団法人季の文化伝承協会相談役/とよたプロモ部 会員 【保有資格】 書道講師師範/チャイルドマインダー有資格(保育ママ)/精神対話士スペシャリスト 【趣味】 書道/おにぎり作り/古民家好き/民芸品好き/イノシシ・シカの解体処理見習い中 |
しかも、今のように女性がバリバリ働くのが当たり前ではない時代を生きてきた貞島さん。
仕事を、家庭を、どうやりくりしてきたか気になりますよね!
矢作新報の記者になったきっかけとは?
カフェママ:「記者には以前からなりたかったんですか?」
貞島さん :「まったく。ハローワークに行って見つけた仕事なんです。」 |
彼女は、学校卒業後、自動車メーカーに就職し、結婚を機に退職。
その後、子育てをしながら子供向けの書道教室を開いたり、
契約社員などとして働いたり、色々な仕事をしてきました。
ボランティア活動もしてきたそうです。
しかし、4人の子供の大学進学など、夢を後押しするために、私も経済力をつけたい!
やっぱり正社員になりたい!との思いから就職活動を始めたそうです。
そして、12年前矢作新報社の求人票を見つけます。
貞島さん :
「あ、新聞記者っていう求人票がある。何これ?」ってことで、たまたま見つけたわけです。 ハローワークの方には
創業者で当時社長だった新見さんの意向、私が長年ボランティア活動でエッセイを書いていたことなどが認められ無事採用されました。 驚きと喜びの気持ちでいっぱいでした! そこから記者としての人生が始まりました。 |
【30年ほど前の社会環境】働き続けたかったけど泣く泣く退職
貞島さん :
私は独身時代、自動車メーカーの正社員として働いていましたが、 結婚を機に退職しました。 私の場合は、晴れ晴れとした寿退社というより、 泣く泣く退職したという気持ちのほうが強かったですね。 本音は「出来れば辞めたくなかった」ですね。 |
30年前ぐらいは、結婚したら仕事を辞めるというのが普通だったんです。
貞島さん:
夫からも「専業主婦になってほしい。」と言われ、会社も家族もそれが自然の流れでした。 会社の上司からは、 「あなたが仕事を続けたら、家事は誰がするの?」 「妊娠や出産、産後はどうするの?」 と言われました。 女性の幸せは、結婚・子育て・出産、というような雰囲気でしたね。 私も仕事を続けたい思いはありましたが、ある意味会社からの圧力を感じました。 当時は今のように産休や、育児休暇、時短勤務など、 女性が働き続ける環境も整ってない状況だったこともあり、 退職を決めました。 今の時代だったら、考えられないことかもしれませんね。 |
記者と母をどう両立してきたのか
カフェママ:
それにしても新聞記者ってハードワークでしょう?時間は不規則だし、時間の使い方も取材相手優先でしょう?
しかも、当時の普通(一般的)の夫っていうのは、女性に正社員を望んでなかった。
そんななか家庭との両立はどう工夫されてきたの?
誰かに助けてもらったりとか。
貞島さん :
そうですね、その辺がすごく難しいですね。
私にとって新聞記者の仕事は、せっかく掴んだ正社員の仕事です。 どうしても辞めたくない。 今は夫が元気でも、もしもの時にも備えたい。 そんな考えがありました。 仕事は毎日覚えることがたくさんあり、はじめてのことも多かったです。 何より初対面の人から話を引き出し、それを文字にしていかなくてはならない。 がむしゃらにやりました。
仕事をしながら、4人の子供の子育て、学校関係の行事 家事。毎日毎日 いっぱいいっぱいでした。 夫からは、「新聞記者の仕事大変だったら辞めてもいいよ」とは 言われましたが、夫は家事や育児を進んで手伝ってくれるという風ではありませんでした。 女性は、仕事も、子育ても、家事も完璧であれっていうことを、 全部押し付けられた時代だったということもあると思います。
家庭と仕事との両立は、 同じ敷地内に私の両親が住んでいたので、父母にも協力してもらいましたし、 私の子供と同い年の子供を持つお母さんやお父さん(ママ友)にはすごく助けてもらいました。 子供の協力も大きかったですね。家事を手伝ってもらったりとか。 反面、夫は…難しかったですね。 女性の社会進出、男女雇用機会均等法(昭和60年成立)、 ジェンダーという概念の登場(平成元年ごろ)。 時代が変わっていくなかで、柔軟な対応を女性の方がしてきたと感じています。 夫をはじめ多くの男性に、女性の働き方や思考について 「どうなんだろう」って考えてほしいと思っていましたね。 |
カフェママ:
「私は貞島さんをほめてあげたい!!」
子供が自立した今、考えている事
カフェママ:
「お子さん達が自立していく中で、この先も新聞記者をバリバリやっていくつもりでいるんですか?
貞島さん :
今はSNSとかあるし、「記者として自分がどういうふうにこの仕事と続けていくか」 記者としていろんな方々にお会いしてきたことは、もちろんすごい財産ですが、 子供達の手が離れていきいま、 「自分はこれからの人生何がしたいのか」を立ち止まって考えてみたいなって。今そういう時期ですね。 |
好きなことを諦めてほしくない
カフェママ:
「またこれから何をしようかなって思ってらっしゃるの?」
貞島さん :
あの~、やりたいことがいっぱいありすぎちゃって! まずは、ちょっと時間がある時にハローワークに行ってみたいです。 ハローワークに行ったら、また何か新しいことが見つかるかもしれません。 時代が変わった今、どんな仕事が社会で求められているのかって。 それを知るのって面白いじゃん!と思って。 仕事柄いろんな人と出会い、この仕事をやってきて何が大事かを考えてましたし、傾聴がどれだけ大切かも学んできました。 社会って言ったら大げさかもしれないけど、誰か、若い世代の人たちのために何かできたらいいかな。 それこそ若いママたちやお仕事などで悩んでる方を助けられたらいいなと思うんですよね。 やりたいこと、日々の生活、今後の人生について、いろんな思いや考えがある中でどうしていくのがいいのかなって…。 いま本当に悶々としているって言うのが正直なところです。 |
カフェママ:
「でもそれってきっと楽しみでもありますよね。そのどういう自分になるんだろうっていう、ちょっとワクワク感もありませんか?」
貞島さん :
そうですね!だって知らない世界を新聞記者としての12年間でたくさん見せてもらってきたんですから…。これからの人生もワクワクしています! |
カフェママ:
まだ54歳ですよね?まだまだこれからの私の人生に期待している姿、
30代40代の人に、まだまだ先にワクワクがあるのよ~って言うのをお伝えしたいですよね。
貞島さん :
そうですね。出会ってきた先輩女性の方たちは 本当にキラキラ輝いてる方々が多くて、 「50代からが女の本当の勝負だよ」 「60歳になったら開けるものがいっぱいあるよ」とか。 そういうメッセージをくれた女性が周りにたくさんいました。 だからこそ、若い方にも自分の好きなことを諦めてほしくないですね。
何か大きなことができるわけじゃなくてもいいんです。小さなことでいいと思うんです。 若いママたちにも、日々の生活や気持ちの中に大小の波風はあると思うけど、好きなことは続けてもらいたいなぁと思っています。 一時はお休みする時はあります。 好きなことを家庭の事情や妊娠・出産などで できずジレンマがある時はそれはそれでいい。 優先順位をつけないといけない時があります。 その時々で大事だなって思うことに全力投球してもらいたいですね。 頭の片隅には、もうちょっと落ち着いたら(子育てが一段落したら)、好きなことをもう1回やってみたいな って気持を忘れず持ち続けてほしいですね。 タイミングが来た時に、 新しいものを見つけたり、発見があったり、出会ったりして、 過去からさらに進んだ楽しいことが待っていると思うのです。 |
あなたにとって幸せとは
カフェママ:
では最後に、「あなたにとって幸せって何か聞かせていただけますか?」
貞島さん :
自分の好きなことを自分で選ぶことができて、それを行動に移せるっていうのはすごく幸せだと思います。
結婚をどうしようかと、悩んだ時も、 仕事どうしようかなって思った時にも、 自分でじゃあどうしようって選んできたし、
4人の子供に対しても、それぞれが自分の夢を持った時に 絶対応援してあげたい!っていう思いがありました。 そのためには経済力もないとって、思いましたね。 |
カフェママ:
私の幸せは、してもらう幸せじゃなくて、私が私を幸せにするのよ!って?
貞島さん :
本当にそうだと思います! 「私が私を幸せにする」っていうのは、 その人それぞれの幸せの価値観だったり、感じ方だったりします。 喜びも、他人じゃなくって自分でしかわからないことがあります。 他人がどうこういうのは、もういいんです、私が楽しいんだから! 私の幸せは、私自身が決めていく。 |
カフェママ:
本当の幸せの形を、自分で、自分自身で、見つけてほしい!
貞島さん :
そうですね。自分自身で見つけてほしいですね。 |
インタビューを終えて
笑うほうにエネルギーを使いたい
そう言われるだけあって
貞島さんは、よく笑って、にこにこされています。
物静かな雰囲気ながら、しんのしっかりした方。
私がそう思ったのは、貞島さんの何事にも真摯に向き合い
一つ、一つ丁寧に乗り超えてきたからなのねと思いました。
人生100年時代です。これから貞島さんがどうなっていくのかな~
とっても楽しみです。
貞島さん同様、私もワクワクドキドキしながら新しいことに挑戦しなくちゃ~
お話しして、勇気をいただくとともに、とても晴れやかな気持ちになりました。
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この記事を書いた人 野々山憲子(カフェママ) カフェドシェフ共同経営者 経理・営業を担当 パティシエ ホールスタッフ 高校卒業後、阪神百貨店入社(現阪急阪神百貨店)。7年間婦人服売り場で勤務。その後、カフェドシェフ開店。共同経営者となる。 鹿児島県生まれ
保有資格等 コーヒーインストラクター2級/調理師/手作りパン研究普及会製パン技能専科修了/簿記一級/着付け着装師補
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